「みんな仲良し」の裏にある怖さ

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部活やサークルで「俺らはみんな仲が良い」と豪語する光景を見て、私は胡散臭く感じる。

あなたが今どんなに良いグループに属していても、一人や二人は話にくい、2人きりになったときに気まずい、といった経験があるだろう。百歩譲ってそんな経験がないなら、あなたたちのグループはすこぶるコミュ力に優れた人たちの集まりなのだろう。

でも大抵の場合、みんな仲が良いと豪語するグループはいずれ破綻する。

たまたまその活動に興味をもった人の集まりのなかで、全員同じように仲良くしろと言われても無理な話だ。

本当に気が合う、本当に価値観のあう人たちの集まりが本来の仲良しの形だ。

現実世界のなかでは、表面的には仲が良いように見えても心の中では、嫌いな人、苦手な人が必ずいる。

そこを、みんな仲良くしなければならないという圧力がかった風習で第三者からの干渉が入ると、かえってどぎまぎするし、仲違いするに違いない。

私は断言して言う。 

みんな仲良しというグループほどもめる 

 「みんな仲良く」は聞こえはいい。

 でも裏を返せば、集団の真ん中に圧力がかかっているということだ。

 中には、「俺はみんなと仲良くしたくない」っていう人が出てくるかもしれない。

 そんな人が出てくると、まず、排除の動きが始まる。

 人間関係崩壊の予兆だ。

 では、どうすればいいのか、、、、

 大事なことは、「みんな仲良く」ではなく、ほどほどに

 学校にしろ、会社にしろ、どこへ行っても、嫌な奴は絶対にいる。

 そんな人と仲良くはしなくてもいいけれど、仕事のためには協力する必要はある。

 それ以上関わらなかったらいい話だ。

 嫌な人がいてもほどほどに、そして嫌な奴がいても排除しちゃダメ

 これを念頭に置かなくてはならない。

 

 ・大人だけではない

 私は、小学校の教室に「みんな仲良し」という掲示を見るたびに違和感を感じる。

小中学校のなかで友人関係のことで悩み、それがエスカレートして登校拒否や自殺する子は少なくない。

黒板の上に掲げられたきれいごとのようなスローガンはそのような子の苦しみに拍車をかけているようでしかならない。

でも、社会人になると友人よりも会社などで仕事上の付き合いが多くなる。

だからこそ、

ドライな人間関係を子供にも習得させる

これは林修の初耳学でも紹介されたPRESIDENT Onlineの記事の小見出しの言葉でもある。

president.jp

 

「社会に出たら、ドロドロの関係はまずい。ドライな関係の中で共通の目的に向かうチームになればいい。だから大人になったらドライな関係でやっていくのだから、今もドライに考えていいよ。」

と林先生は語る。

 

人生を長いスパンで考えた時、小中学校の交友関係など、長い人生においては大して重要ではない。

なぜなら社会に出た時、そんな人と会うのは1年で多くても1、2回だし、一生会わない人だっている。

人生は長いストーリーで、そこにはその人しかいなくても次のシーンに移ったら別の人がいる。

でも、学校という狭いコミュニティの中でしか世界を見れていない子供にとって、それを気づくのは難しい。

だからこそ、先生をはじめ、周りの大人が伝えてあげなくてはならない。

本当に大切な人だけ大切にすればきっと幸せになれる

ということを